お兄ちゃんが、中学卒業したら、父親の自営業を継がせることしか、親としては、自分の子供が生活できる手段はないと考えていたようです。
でも、お兄ちゃんはやりたくなくて、覚える気もなくただ、怒られるから一緒に仕事をさせられていた状態でした。
20歳になった時、お兄ちゃんは黙って家出をしました。頼るところもないはずなのに、憧れ?だったのか、東京に行ってしまいました。
母親は、必死で探し、父親にばれないように、仕送りをし、とても心配をしていましたが、引き戻すことはしませんでした。
どういう経緯があったのかは、はっきりとは聞けませんでしたが、喧嘩に巻き込まれ、失明寸前の視力になりました。手術で片目は何とか眼鏡をすれば見えるが、もう片目は見えなくなりました。その時にお世話になっていた方が、役所に連れて行ってくれて、障害者手帳を取得しました。
母親は、戻ってくるよう話しましたが、父親が怖くて仕方がなかったし、こんな状態になってしまったので、もう戻れないと。
しかし、住民票などが実家になっていたので、父親には知られないように同じ市内に戻ってきました。
母親が亡くなった事実は、お兄ちゃんにはどう理解できたのかはわかりませんが、難しかったようです。葬儀が終わったあと、私に「お母さんはどこに行ったの?」と探していました。
・・・それから、私は市外で結婚をし暮らしています。お兄ちゃんの事は丸ごと引き受けることはできず、連絡も取れていない状況です。
心のどこかで、助けられなかったお兄ちゃんに申し訳ない思いや、どうしてあげられたのか?と自問自答をしてきて、結局答えが出せませんでした。
だからこそ、障害があっても、自立しなくては生きていけない。でも周りには助けてくれる人や基幹、施設はたくさんあることを、助ける側から伝えていきたいと思ったのがきっかけです。
かなり長くなってしまいましたが、最後までご覧頂き、ありがとうございました。
・・・次回は、何回目でしたか、非定型うつの彼女のお話をしましたが、その方の続編です。